五島列島4:隠れキリシタンと潜伏キリシタン〜徒然なるままに、宗教を考える〜

五島列島
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一足先に仕事が休みになった夫が妻置いて旅行に行きました。
五島列島編、パート4です。

五島観光歴史資料館を見学していて、キリシタンの歴史が思っていた以上に複雑だと知りました。

私は学生時代、日本史を本格的に勉強したわけではありません。「キリシタン=禁教されて隠れていた人たち」くらいの認識でした。

しかし現地で展示を見ていると、「隠れキリシタン」「潜伏キリシタン」という似た言葉が出てきます。最初は同じ意味だと思っていました。

実は全く違うようです。

潜伏キリシタンとは
江戸時代、幕府はキリスト教を禁止しました。踏み絵などで信者を取り締まり、多くの人が改宗を迫られます。それでも信仰を捨てず、表向きは仏教徒や神道の信者として暮らしながら、密かにキリスト教を守っていた人たちがいました。これが潜伏キリシタンです。
つまり、「今は隠れている最中」の人たちです。
隠れキリシタンとは
明治時代になると禁教が解かれます。ここで多くの潜伏キリシタンは、正式なカトリック教会へ戻りました。しかし一部の人たちは戻りませんでした。長い潜伏生活の中で、祈りの言葉や儀式が独自に変化していたからです。
祈りや儀式の動画を見ましたが、かなり日本ナイズされた神道チックな儀式になっていました。先祖から受け継いだ形をそのまま守り続けた人たちを、現在隠れキリシタンと呼ぶことが多いそうです。
つまり「隠れていた人」ではなく、「独自の形で信仰を継承した人たち」というニュアンスになります。

五島列島は、潜伏キリシタンの歴史を語る上で非常に重要な場所です。長崎本土から移り住んだ信者たちが、島々で信仰を守り続けました。

現在も教会が数多く残っており、世界文化遺産の構成資産になっている場所もあります。

私が見学した福江周辺でも、教会やキリシタン関連の展示を多く見かけました。

「離島だからこそ信仰を守りやすかった」という側面もあったのでしょう。

展示を見ていて驚いたのは、潜伏中の人々が仏教や神道の要素を取り入れながら信仰を守っていたことです。結局、新しい宗教を信じようにも、聖書や宣教師なしでは既に知っている思想や文化を手がかりにするしかなかったでしょう。人間の想像力は、まったく何もないところから生み出すよりも、既にあるものを組み合わせて新しい形を作る方が得意なのかもしれません。

そう考えると、モーゼ、キリスト、ムハンマド、ブッダのように、世界規模で信仰を広げた人物たちは特別な存在だったのだと思います。

本当に神の声を聞いたのかもしれないし、あるいは時代を超えた発想力や人を動かす力を持った稀有な人物だったのかもしれない。少なくとも通常のスペクトラムからかなり外れた存在だったと思います。

今回特に気になったのは、キリスト教徒から見た時に隠れキリシタンは「キリスト教徒」なのか、という点です。祈りの形も儀式も大きく変化し、信じる対象も守る教義も本来のキリスト教とは異なる部分が多い。

では、キリスト教の神は彼らをどう見るのか。

さらに不思議なのは、本来のキリスト教へ戻る道が開かれた後でも、口伝で受け継いだ信仰を守り続けた人たちがいたことです。

その信念はどこからきて、何に由来するのか。

もしこの問いをうまく言語化できるようになれば「人は宗教に何を求め、宗教は人に何を与えるのか」という、これまで漠然と考えてきたテーマのヒントが見つかるかもしれません。

隠れキリシタンは単に、歴史が生んだ特殊な集団ではなく、宗教学や思想史を考える上でも非常に興味深い存在なのだと考えます。

誰か偉い人、考えて論文にしてください。

次回は福江島ドライブ編です。お楽しみに。

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