鹿児島3:勉強会・薩摩藩と西郷隆盛

夫旅日記

一足先に仕事が休みになった夫が妻置いて旅行に行きました。
鹿児島編、パート3です。

維新ふるさと館に行きましたが、せっかく薩摩藩の歴史と西郷隆盛に関してなど学んだので共有できればと思います。お勉強会です。

学生時代、日本史はかじる程度しか学んでいません。知っている知識はほとんど漫画で学ぶ日本の歴史由来です。西郷隆盛について知っていたことと言えば、「犬を連れてドンドン言っている銅像の人」くらいです。

そんな人間が維新ふるさと館を見学して理解した内容を、自分用のメモも兼ねてまとめてみます。細かい部分は専門家の先生方にお任せします。

国際経験豊かな薩摩藩

まず驚いたのは、薩摩藩が思っていた以上に国際経験豊富だったことです。

幕末の日本は鎖国していたイメージがありますが、薩摩藩は琉球を通じた交易を行っていました。また、1863年には薩英戦争が起こります。

きっかけは生麦事件です。薩摩藩士がイギリス人を殺傷したことで、イギリス海軍が鹿児島へやってきました。

当然、当時の世界最強クラスの海軍です。普通に考えれば薩摩藩に勝ち目はありません。

実際に鹿児島市街は砲撃を受け、大きな被害が出ました。

ところが薩摩藩も必死に反撃します。

結果として戦争自体は薩摩藩にとって厳しい内容でしたが、「欧米と戦った経験」を得ることになります。結果的には引き分けに近い形で終わりますが、お互いの実力を認め合うことになり、その後はむしろ関係が良くなっていきます。

そして薩摩藩は「これは正面から戦ったら勝てない」と学び、むしろイギリスから技術や知識を学ぶ方向へ進みます。

個人的には、このあたりの柔軟さが薩摩藩の強さだったのかなと思いました。

その後、西郷隆盛や大久保利通らが活躍し、長州藩と手を組んで江戸幕府を倒します。

これが明治維新です。

実は西郷隆盛は幕末に島流しも経験しています。奄美大島などで数年を過ごしたそうです。私だったらそのまま隠居したいところですが、その後も歴史の表舞台に戻ってきます。

ここまでの西郷隆盛は完全に主人公です。
しかし明治政府ができると状況が変わります。

西郷隆盛と政府

政府内では朝鮮への対応などを巡って対立が起こり、西郷隆盛は政府を辞職して鹿児島へ戻ります。

その後、鹿児島では私学校という教育機関が作られ、多くの若者たちが西郷を慕って集まりました。

問題は彼らの士気が異様に高かったことです。

当時の不満を抱えた士族たちは、「西郷さんなら何とかしてくれる」と考えていました。

一方の西郷本人は、少なくとも最初から政府との全面戦争を望んでいたわけではなかったようです。

ところが政府との対立が激化する中で、鹿児島の士族たちが武器庫を押さえたり、軍を動かしたりと状況がどんどん進んでいきます。

気付けば引き返せないところまで来ていました。

現代風に言うなら、組織のトップが「ちょっと待て」と言う前に現場が全力で走り出してしまったような状況だったのかもしれません。

こうして西南戦争が始まります。

結果は政府軍の勝利。

西郷隆盛は城山で最期を迎えます。

維新ふるさと館を見学して

維新ふるさと館を見学する前の私にとって、西郷隆盛は「犬を連れた銅像の人」でした。

見学後の私にとっては、「幕府を倒して新しい国を作ったのに、その新しい国との戦争に巻き込まれるような形で最期を迎えた人」という印象になりました。

もちろん歴史はもっと複雑です。

それでも、たった数十分の見学で「銅像の人」から「かなり数奇な人生を送った人」へ認識が変わっただけでも、維新ふるさと館へ来た価値はあったと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました